あおのりの人生を楽しむブログ

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「遺産」?それとも「依存」?年度末に子どもに残すもの

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年度末ですね。子どもたちが学校に来る日も残り20日を切りました。
寂しさと期待感の入り交じる微妙な季節です。

一年を締めくくる時期です。


2年生の生活科では「大きくなったわたしたち」という生活科の単元で自分の成長を振り返り、4年生では10歳ということで「2分の1成人式」が行われました。


国語の教科書にも「これまで学習したこと」とかいうページがあったり、
生活目標にも「お世話になった人に感謝をしよう」みたいな言葉が掲げられたりと、否応なしに一年を締めくくらされていきます。


業者テストなんかを見ても「○年生のまとめ」とか網羅テストを行う時期ですよね。


要録の処理とか引き継ぎの資料を整理する中で、もう終わりなんだなぁと寂しくなってきます。


反対に、「もうすぐ○年生だね」という言葉掛けが多くなるし、
「来年はアイツと同じクラスになりたいなぁ」なんて思ったりして、
新しい環境に胸膨らみもしますよね。

特別支援学級は担任変更なし?


私は特別支援学級の担任をしているので、異動せずに今の学校に残ることがあれば、おそらく同じ学級を引き続き担任することになります。


ところで、特別支援の担任ってどうして変わらないんでしょうね〜。
養護教諭とか栄養教諭と違って専門職ではなく、単なる校務分掌の一つなので、学年を異動するのと同じ形で変わっていけばいいのに、と思うんですが。
通常学級と勝手が違うし、専門性が必要そうなイメージもあるので、希望者が少ないんでしょうね。


現在の担当者が希望したらそれを尊重するのを良しとするのもあるんでしょうか。
以前、通常学級が務まらないから特別支援学級の担任に回される人もいる、という話を聞いたこともあります。自分がそうでないことを祈りたいですが・・・


子どもの環境をあまり大きく変えないためもあるんでしょうか。自閉症の子どもなどは新しい環境への適応に弱さがあったりしますから。


ぶっちゃけ、私は今年一年担任を持ってみて、「関係ないじゃん」と思ってしまいましたが。
私が持った子たちに限っては、新しい環境への適応の難しさは通常学級の時とあんまり変わらなく、同じくらい不安げだし、緊張してるし、少しずつ慣れていきました。


もちろん色々な子がいるのでしょうが、特別支援「学校」でなく「学級」を選んでくる時点で、一つの教室、一人の担任の中ではなく多様な人間関係の中で生活させた方が親の願いとも合致するのではないかとも考えてしまいます。


(児童の環境設定については多様な意見があると思います。児童にも様々な子がいますし、願いなんてなく、知らないがゆえに普通小学校に入り、支援級に転籍する児童だっています。でも『学び合い』を志す身としては、狭い支援学級にいるのはなんだかもったいない気もするのです。まぁ、無知な若造の戯言として流していただければと思います。)




話が逸れました。戻します。


他の学校に異動することになったら今の子どもたちとの関係はなくなりますし、異動なしだとしても担任が変わればガクッと接点が減ります。


そういうことをふと考えたら、「一年をどう締めくくるかなぁ」とちょっと考えました。

子どもたちに何を残す?

私は子どもたちに楽しい未来を歩んでほしいと思います。
そのために何ができる?と思っていたら、こんな記事を見つけました。


「出戻りCEO」の現象を考える:残しているのは財産か、依存か : ライフハッカー[日本版]


創業者の意思がうまく受け継がれず、最高責任者を退いたら組織が崩れていった、というエピソードがいくつもあるようです。


冒頭部を引用します。

創業者の退任と同時に会社の経営が傾き、しばらくの後に再び経営の座に復帰するという事例をよく耳にします。マイクロソフトしかり、スターバックスしかり。あのスティーブ・ジョブズも、1度目の退任後にカムバックしています。このような現象が起きてしまうのはなぜなのでしょうか。米国のスタートアップ経営者向けメディア「Inc.」が、その問題に迫っています。導かれた結論は、経営者ならずとも、リーダーに求められる要素であるようにも思えます。


「組織」という点では会社も学校も同じですし、退くときに何を残すことができるかは年度ごとに変わることの多い教員こそしっかり考えるべきだと思いました。

担任の色が残ると面倒


初任で初めて担任を持った時、何も分からないので子どもたちに「色々教えて下さいね」なんて言ったら、


「前の先生はこうやってた」
「いや、うちはこうだったし!」
「なんでそんなことするんですか?あー、前の先生の方がよかったわ〜」


なんて言われてタジタジになったことがありました。
ただ舐められていただけ、という話は置いといて、
前任者のやり方が最高という考えが濃くついていると、後任が苦労します。


前の担任の考えに「依存」して、他の考えを受け入れられないのは、担任も子どもも苦労します。

新しい環境に柔軟に適応していくには


担任への「依存」を減らし、担任との経験を「遺産」として残していく必要があると思います。


具体的には、子どもたちに下記のような状況を残す必要があると考えました。


「新しい担任や友達ともうまいこと関係を作っていける力がある」
「様々な環境で適応できる汎用性のある手段や考え方を備えている」
「不安の中にも安心できる環境が残っている」


一つひとつ見ていきます。

新しい担任や友達ともうまいこと関係を作っていける力がある

コミュニケーション能力です。前と違うやり方だから、なんとなく印象がよくなかったから、攻撃する、反発するのでは幸せな環境は生まれません。
もっと平和的に問題を解決したり、建設的な方法で人間関係を結んだりするための手段を教える必要があります。

「様々な環境に適応できる汎用性のある手段や考え方を備えている」

慣れ親しんだ前の先生と授業のやり方が違うから、「よくわかんないや」と切り捨てるのはもったいない。与えられた環境から自分なりに学んでいくことができることこそ、よりよい成長につながっていくと思います。
それには誰かに頼った方法でなく、子どもたち自身で学んでいける手段を身につけさせたり、自分で考えて行動する癖を付けさせることが大切なように思います。

「不安の中にも安心できる環境が残っている」

完全なるアウェイの中ではなかなかパフォーマンスが発揮できません。
一つでも安心材料があったり、分かり合える知り合いがいれば、それを拠り所としてチャレンジの一歩を踏み出すことができると思います。
クラスの仲間と、また学年の中で、もしくは学校中に、複数の「居場所」を残してやりたいものです。


残り1ヶ月で何ができる?

何もできません。
「何か残してやろう」「さらなる成長を」と頑張れば頑張るほど、思いだけが空回りして失敗するでしょう。
下の記事でも戒められています。


多賀マークの教室日記 » 若い先生方にーそのⅡ―


でも、そこで諦めては何もしないのでは本当に何も残らない。
冒頭記事の最後を引用します。

そこで疑問が生じる。レガシーを残したいと思うのであれば、いったい何を待っているのか?

始めるときは、今なのだ。「後から」では遅すぎる。今すぐスケジュールを確認してみてほしい。そこにあなたのビジョンを意識的に手放し、組織に浸透させるための予定が書きこまれているだろうか。

ないのであれば、あなたが築いているものはレガシーではない。むしろ、正反対のもの。それは、依存の文化だ。あなたへの依存だ。

もちろん、求められることは素晴らしい。必要とされることは心地よい。ただ、そのどちらもレガシーを築いてはくれないのだ。

無理に変えるのではなく、日常のちょっとしたところで。
メッセージを伝え続ければ、『学び合い』のセオリーである2割くらいの子どもには伝わります。
たとえ変わらなくても、種として子どもたちに残り、いつか芽吹くことでしょう。
そう願って、自分にできることをするしかないですね。








なぁんだ、色々考えたけど結局一から十まで『学び合い』のセオリー通りですね。
とっくに答えは出てました。いつもどおりやるだけです。